ジャスミンの中国茶の旅
旅日記

2004年4月15日(木) 雨→曇り  行き先:無錫

無錫へ来たがこれからどうする!

長興県で宿泊した村の総経人さんと奥さん、それからお友達の呉さんも「碧螺春の産地は無錫だよ」と教えてくれた。とりあえず私は”地球の歩き方”を頼りに無錫へ行くことに決めた。長興県から無錫へ行く途中、茶壷有名なで宜興を通過するので、そこで私は茶壷(急須)を買っていこうと思った。そのことを話と、「宜興の急須は丁山が本当の産地」だと教えられ、しかも呉さんが100元で自分の愛車"ワーゲン サンタナ”で丁山の茶壷市場まで送って行ってくれるといった。村から長興バスターミナルまで戻るだけでタクシー50元(タクシーしかない)がかかることを考えたらいい話だった。

私は呉さんに市場まで送ってもらった。途中、太湖の西側沿いをずっと走った。
市場で呉さんと茶壷を見て回った。呉さんは「自分はこの土地のなまりを話せるから、値段の交渉は俺にまかせろ」といった文章のメモを見せてきた。ただ、この市場の急須はあまり買いたいと思うものがなかった。茶壷の蓋の磨り合わせがわるいし、色も不自然なつやが気に入らなかった。臭いも土臭い。結局呉さんに手間をかけさせただけで、買わずに去ることにした。呉さんの車に乗り込むと、彼が私のメモ帳とペンを欲しがったので彼にわたした。彼は「ここの茶壷は偽モノ」と書いて私に見せた。買わなくて正解だったらしい。本来は丁山のバスターミナルから無錫に独りで行くはずだったのだが、丁山発のバスは本数が少なく待ち時間が長かった。心配してくれた呉さんは「宜興のバスターミナルまで送る」と言ってくれた。再びサンタナは走り出し、宜興南バスターミナルへ着いた。呉さんはターミナルに入り「切符を買ってくるからここでまっていろ」と私を入り口付近に待たせて切符売り場に並んでくれた。すると頭を抱えて帰ってきた。このターミナルからは無錫行きのバスが出ていなかったのだ。無錫へ行くバスは宜興北バスターミナルだった。宜興のバスターミナルは丁山や長興のターミナルよりも近代的で立派な建物だった。
とりあえず呉さんは私を北ターミナルまで送ってくれた。彼は切符を買って私に渡してくれた。今度は大丈夫だ。私は彼に約束の100元に手間賃を足して渡した。それから握手をして別れた。

ターミナルを独りで歩いていると頭と肩から血を流して歩いている男性を発見!どうやら事故ったらしい。

無錫へ向かうバスは中年男性乗客でひしめくオンボロバスだった。しかも道が土の道で煙を巻き上げながらゴトゴトと走っていく。ふと前の席を見るとサラリーマン風のスーツを着たお兄さんがモバイルパソコンを膝の上に乗せてカードタイプのPHSらしきものでインターネットをしていた。「なにっ!!」とわが目を疑った。

無錫へ着いたのは夕方だった。暗くなる前に寝床を探せねばならない。するとバスを降りてすぐに目の前に”泰山ホテル 一泊80元” の文字が見えた。女一人で暗くなった見知らぬ土地を歩くのは怖かったので、今日はこのホテルに泊まることに決めた。ただ、80元の部屋は満室で150元の部屋になってしまったけど・・・。さて予定になかった無錫なのでなんの計画もないのだけれど、これからどうしたものか?とりあえず夕食の買い物をしに地下道内のスーパーへ行った。パンを買おうと思ったが、賞味期限がほとんど切れていた。ひどいものは1週間前のものもあった。無難なカップラーメンを買った。でもカップラーメンは日本の方が美味しい。

写真:ホテルの上から眺めた無錫の街


2004年4月16日(金) 晴れ 行き先:無錫

碧螺春の畑は無錫か蘇州か?

昨夜のこと、ホテルのフロントへ地図を持っていき、碧螺春の茶畑がある場所を尋ねた。すると、フロントの全員が「没有」と言った。碧螺春の畑は無錫には無いというのだ。無錫へ行けば何とかなると思っていたが大間違いだった。そのうち、独りの服務員が地図を見ながら「蘇州にある」と指差して教えてくれた。長興県で言われたことは一体なんだったの?

そんなわけで、すごく憂鬱な気分で目覚めた。とりあえず夕べ考えた策は、”日本語が分かる人がいると思われる旅行代理店へ行って聞いてみる”ことだった。私は朝一でリュックを背負い泰山ホテルをチェックアウト。タクシーを拾ってガイドブックの旅行代理店を探すことにした。タクシーはすぐつかまったが、ガイドブックの旅行代理店の地図をみせると、「これでは分からない」と言われた。私は「この近辺で降ろしてくれればいい」と言ったのだが、通じてるのか通じてないのかタクシー運転手は納得しない。ガイドブックの地図には大きな広場の近くに旅行会社があり、この広場からならたどり着けそうだったのだが、どうにも運転手が納得しない。親切そうな人で、私のことを心配している様子だった。しかたなく私は、自分を情けなく思いつつローズの携帯に電話し、運転手の言っていることを通訳してもらった。運転手の言っていたことは「この地図の広場は今は広場ではない。だから行っても会社は見付からない」という事だった。私はローズを通して、「とにかくこの広場の場所まで連れてって」とお願いしてもらった。運転手は困った顔をしつつも地図の場所まで連れてってくれた。しかも料金メーターを止めて・・・。

地図の場所まで来て運転手さんの心配のわけが理解できた。地図の場所は大規模な区画整理が行われていて広い通りは荒野の状態になっていたのだ。とりあえず、私はここで降ろしてもらった。タクシー代は初乗り分だけだった。本当にいい人だった。

道路はこんな状態だったが、ホテルなどは地図の場所に立っていたので、それを頼りに旅行会社を探す事が出来た。旅行会社へ入ると日本語を話せる人はいなかった。代わりに「日本部が2階にある」と教えられた。2階に上がっていくと各デスクが仕切られたフロアーがあり、何人かの人が黙々と仕事をしていた。私を怪しげに見る人もいるが話しかけてこない・・・。困った私は通りかかった人を捕まえて「日本語を話せる人はいますか?」と聞いてみた。すると「今はいないけど、ここで待っていて」といわれた。言われたとおりしばらく待っていると、初老の男性が日本語で話しかけてきた。「あなたですか?なんの御用でしょうか」と。私は彼の部屋へ案内された。そこで碧螺春の話をした。彼も「碧螺春は蘇州ですね。無錫には”毫茶”というお茶はありますが・・・」と教えてくれた。旅行会社の人でさえそう言うのなら無錫には本当に碧螺春が無いのだろう。でもせっかくだから毫茶畑を見に行くことにした。それから彼に茶畑へ行く際の”ガイド”も依頼した。彼は「今夜中に担当のガイドから電話させる」と約束してくれた。
それから厚かましい私は、「会社の回線でインターネットをさせてください」とお願いした。彼に呼ばれた従業員の男性がすぐ私のPCをネットに繋いでくれた。久々のHP更新だ。
後で名刺をみて分かったことだが、彼はこの会社の副社長だった。

錫恵公園 天下第二泉へ

副社長に安いホテルと錫恵公園への行き方を教えてもらった私は、さっそく梁渓飯店でチェックインを済ませて公園を目指した。それにしても困ったことに、ホテルは予約がいっぱいで、今日は宿泊できるのだけど、明日朝にはチェックアウトせねばならなかった。明日はリュックをどうするか?リュックを背負ったままでは重たくて長時間歩く事ができない・・・。

それはさておき、大通りから二階建てバスに乗って錫恵公園へ出発!料金はたったの1元(約15円)。

ところが私・・・降りるバス停が分からずに公園を通り過ぎていた。というか公園が終点で、バスは来た道を折り返し戻っていった。なんてこった!

錫恵公園入り口

八重桜が咲いているのを見て何故かうれしくなった。

仕方なく途中でバスを降りて道路の反対側から、再び公園行きのバスに乗った。今度は無事に到着した。公園はとても広い。私は地図を見ながら天下第二泉を探した。天下第二泉とは茶聖陸羽が「天下で二番目に美味しい水」と称えた泉だ。

天下第二泉の井戸には囲いがしてあった。
残念ながら今はこの水を飲むことはできないようだ。

対面に昔風の建物が建っていて、老若男女その建物の軒下に座ってくつろいでいた。ご飯を食べている人もいた。私も座っておやつタイム。
ピエールがいない!!

夕方、カップラーメンを買いに大きなスーパーに行った。店内に入ると店員に呼び止められた。どうやら大きなカバンはロッカーに預けねばならないらしい。私は入店してくる人々をしばらく観察して同じようにロッカーにコインを入れて荷物をしまった。ちなみに荷物をしまうと、ロッカーから暗証番号が書かれた紙がでてきて、取り出す際にはその番号を入力する仕組みだった。ちょっとハイテク。

葡萄とカップラーメンを買ってホテルに戻った。これが今夜の夕ご飯だ。

夜、ピエール(パンダ)がいない事に気づいた!ガビーン(#゚Д゚)。泰山ホテルに忘れてきた!!


2004年4月17日(土) 晴れ 行き先:無錫

ラッキーな出会いと毫茶畑

ピエールがいなくなってしまって気力を失いかけていたジャスミンだったが、昨夜電話をくれたガイドさんとの待ち合わせの為、荷物をまとめてチェックアウトを済せ、ロビーで待った。時間ちょうどにその人は現れた。スラックスにジャンバーを羽織ったラフな格好の中年男性だった。その人はほにゃらら〜っとした人だった。彼は「とりあえず、リュック重そうだから妻の会社の事務所に預けてから茶畑に行きましょう」と言った。私は彼に案内されてバスに乗った。しばらくしてまた彼が突然「あなた、うちに泊まりなさい」と言い出した。そのまま続けて彼は「いや〜、夕べ妻とも話したんだが、これからホテルを探して茶畑を探していたら時間の無駄だから、それに心配ですから私のマンションでよければ泊まりませんか?」というのである。
確かに昨日、副社長としたガイドの契約は「半日(料金:250元)」だったので、時間がないと言えば無い。私はしばらく考えて、この”ほにゃらら〜”としたガイドさん宅の御好意に甘えることにした。

奥さんの事務所へ行くと留守だった。独りで不動産屋を切り盛りしているらしく、事務所には誰もいなかった。ガイドさんは鍵を開けて荷物を置くと奥さんに電話をし、事務所の鍵をかけた。私は貴重品とカメラだけをもった。再びバスに乗った私たちは梅園のちかくにあるという茶畑へ向かった。製茶工場へは副社長さんが電話してくれたそうだが、一般者の見学はできないそうだ。
とりあえず綺麗に手入れされた茶畑で記念撮影。工場が立っている公園の入り口も撮影した。
特別感動も無く、ガイドさんも「あなたが期待しているものではないね」と言い、なんとなく二人でとぼとぼ歩いていると、人気の無い製茶工場らしき建物の前を通りかかった。ガイドさんは「覗いてみようか?」と工場に入って行った。入り口は開いているが人はいない。廊下に”毫茶”が茶の品評会で賞を獲ったときと思われるプレートが立てかけてあった。作業場らしき場所には手で茶葉を炒るための釜が数点並んでいたが、だいぶ使われていない様子だった。ここは廃業した工場のうようだ。

さよならピエール

私たちはガイドさんのマンションへ帰ることにした。
再びバスに乗った。私はピエールの事が気がかりでならなかった私は、思い切ってこの親切なガイドさんに打ち明けてみた。「パンダの人形を一昨日宿泊したホテルに忘れてしまったの。一緒に泰山ホテルまで来て貰えませんか?」と切り出した。彼は「いいですよ」と承諾してくれた。いざ二人でホテルへ行き、ガイドさんに通訳してもらいピエールの安否を探ったが、ホテルの服務員は誰一人「わからない」と答えた。結局ピエールは見付らなかった。ルーム清掃の時に捨てられたのだろうか?(;´д`)
ショックに打ちひしがれる私に、ガイドさんは優しかった。

夜はガイドさんの奥さんの手料理でもてなされた。ご馳走だった。しかもまだ幼い愛娘がとても可愛い。言葉が分からない私にどんどん話しかけてくる。お母さんが「やめなさい」と言っても話しかけてくるので、おもわず笑いが出てしまった。私は彼女に折鶴を作ってプレゼントした。
ガイドさんの家はとても広くて立派だった。お風呂は浴槽とシャワーが両方ある。至れり尽くせりだった。



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