ジャスミンの中国茶の旅
旅日記

2004年5月8日(土) 晴れ 景洪市→思茅市

諸葛孔明と思茅と茶

AM8:00出発 バスで約3時間、景洪から思茅へ来た。思茅は高いビルや綺麗なマンションが立ち並んでいて景洪よりも都会的だ。街の中には”諸葛孔明の”巨大な像が立てられていた。この街には他にもオブジェなどがあって、市にお金があるように思われる。

私たちはバスターミナルでタクシーを拾って、運転手のおすすめするホテルへチェックイン。
運転手さんは若くて綺麗な女性だった。中国はタクシーの運転手さんのみならず、バスの運転手さんも女性が多い。有料道路の料金所にも女性が多い(日本は男性しか見たことないけど、どうしてだろう?)。荷物をホテルに置いた私たちは、御茶屋さんを探して街に出た。

お昼ごはんに米線(ミーシェン)を食べて、しばらく街を歩いたが、お茶屋さんがみあたらない。どこかに茶マーケットでもありそうなのだが方角が違うのか。ローズが通りのおばあさんに聞いてみた。マーケットはあるらしいが、現在地から4kmほど離れていた。そこで人力車(自転車)に乗ってそこまで行くことになった。人力車の運転手はまったく息を切らすことなく、ぐんぐん自転車をこいでいる。さすがプロだ。体力が違う。私たちは再び諸葛孔明の像の前を通った。よく見ると像の下には”孔明興茶”と書かれている。諸葛孔明と茶になにか関係があるのか?

私たちがたどり着いたのは”中国普シ耳茶葉交易市場”だ。ここがお茶のマーケットかと、わくわくして入った。門の中には沢山の店舗がある・・・がみんなシャッターが閉じている。客らしき人もいない。人がほとんどいない・・・。とりあえず開いてるお店に入った。どうやらここはまだ出来たばかりで、店舗数も少ないらしい。店のなかの茶葉に魅力のあるものもなく、台湾から買い付けたという茶器はなかなか綺麗だった。私たちは店員の女性と話だけして店をでた。私たちが茶畑を探しているのを知ると、プーアルにある自分たちの会社の茶工場の総経理の名刺に担当者の携帯電話番号を書いてくれた。見学可能だそうだ。
店をでた私たちはここで一番大きな建物に入った。そこは、このマーケットを作った会社の建物で、広い茶館になっている。どうやらここで各地から招いた人々との交流会などしているようだ。
建物を出て、さらに奥にはその会社の事務所兼お茶屋があった。

プーアルの緑茶と青茶

プーアル茶が固形茶、散茶とも何種類も置かれている。そのほかにプーアルの緑茶や烏龍茶(青茶)もあった。プーアルの碧螺春、プーアルの金萱、翠メイ、などの名が見られる。私たちはここで緑茶とプーアル茶をご馳走になった。緑茶は芽の部分を手摘みして作ってあるのだが、茶葉の種類は浙江省などのものとは別でやや大きい。「茶畑を見せてもらえないか?」と言ってみたが、「茶農場は山奥でとても遠いので案内できない」と断られた。


諸葛孔明の像


中国普シ耳茶葉交易市場
写真の頭は自転車を漕いでいるお兄さん

”孔明興茶”についても質問。
答えは、「諸葛孔明がこの地に茶の加工を伝えた」という。
茶の加工については、「少数民族がもともと食用としていた茶が飲用の茶に転化した」説と、「少数民族の食用の茶とは関係なく、漢民族から茶の加工が少数民族に伝播した」という説があるようなので、諸葛孔明説も詳しく調べてみないとそのまま信じることはできないが、少なくとも思茅は諸葛孔明と茶で”まち興し”をしようとしている感じがする。

プーアル茶の名の由来1.


”プーアル茶”という名称についても質問してみた。
実は、思茅地区(プーアル県も含む)や景洪、孟カ海といった範囲全てが昔は”プーアル地区”と呼ばれていたのだそうだ。だからこの辺一体のお茶はみんなプーアル茶なわけだ。いつ頃まで言われていたかも今後自分で調べる必要がある。それから同じ質問をプーアルの人にもしてみようと思う。お茶を淹れてくれた女性の話は「あなたたち、プーアル県に行っても茶畑はすくないわよ」ということだった。



細い路地を歩いていたら店先に鳥籠が


中国では時折、信号機にカウンターが
付いているのを見かける。

2004年5月9日(日) 晴れ 思茅→普シ耳(プーアル)ハニ族イ族自治県→大理
                     *シ耳=さんずいに耳の漢字

プーアルハニ族イ族自治県へ

今日は思茅から普シ耳ハニ族イ族自治県へ行った。バスで1時間半の距離だ。
AM8:20出発。途中、公安による検査が行われた。今回はちょっと厳しくて、身分証明書を確認した後、公安は荷物検査まで行った。私の前に座っていた男性は、紙で包装してあった箱まで開けさせられた。私もバックを開けるように言われたが、公安のお兄さんはバックが大きなアタックザックなのを見て「開けなくていい」と言ってくれた。そのかわりローズが中身を説明。



プーアルは寂れたまちの印象を受けた。
昔の茶交易の中心地だと思っていたので、私のイメージでは思茅のような都会的な場所だった。その先入観が余計にプーアルを”寂れたまち”に感じさせたのだろう。
実際は山が多くて、バス駅の前は古ぼけたホテルやお店が立ち並び人も少ない。近代的な建物やオブジェは無い。一応、電柱などに「茶の故郷」といった意味の小さな旗が付けられていた。

私たちは茶工場の人に連絡をとり、教えてもらった小さいタクシーワゴン車に乗り込み(普通のタクシーでは道が悪くて来ることが出来ないといわれた)、昨日思茅で教えてもらった茶工場へ向かった。岩交じりの茶色い土の山道を登ること約20分、途中小さな茶樹が植えられた畑が道の両側にあった。この辺の茶畑は新しいようだ。山の上には工場があった。さっそく、工場の人たちに挨拶して、工場を見せてもらった。でも今は茶作りの時期ではなかった為に、工場には機械しかなかった。(ここの茶は全て機械づくり)。工場はとても衛生的だった。入るためにはスリッパに履き替える必要があった。それから茶畑にも連れてってもらった。ここで造られている茶の品種は台湾のもの(青心烏龍種?)だった。ただし、オーナーがタイ人で、タイで栽培していた苗をプーアルに持ってきたのだそうだ。加工後の茶葉はもちろん烏龍茶。この工場はまだ2年しか経過しておらず、茶作りも手探り状態といった感じだ。お茶は季節を問わず収穫できる。芽が出たら茶を摘んで加工するそうだ。だいたい2,3ケ月に一回茶摘ができる。一通り見せてもらった後、ここで加工した烏龍茶を飲ませてもらった。味は”未完成”と言っておこう。ぜんぜん台湾茶の香り、味に達していない。まだ新しい工場なので研究もこれからなのだろう。茶葉をみると発酵の仕方が斑になっていた。

土が欲しい・・・

ところで、私たちがプーアルに来た目的は茶畑見学の他にもう一つあった。
孟カ海でもらった茶樹王の苗の土が少なく、北京で育てるためにプーアルの赤土をもらおうとしたのだ。私はローズを「土!土!」と煽った。ローズは恥ずかしそうに彼らに土をもらえるよう交渉した。彼らは「没問題!」と笑って、土だけじゃなくて苗までくれた。まさか台湾種の苗をプーアルでもらうことになるとは・・・。そして重い。私は雲南省から広東省に行くつもりだったが、ローズ一人で苗を持って北京に帰るのは困難になってしまった。


台湾種の茶畑


茶葉の形は細長い
駅前まで戻ってきた私たちは、プーアル茶(黒茶)作りを見たくて、再び茶の工場を探した。地元の人に教えてもらった工場に来た。でも、ここで造られていたのは緑茶だった。しかも衛生面が・・・。

この工場は土足なんですけど・・・。


茶葉を乾燥

再びプーアル茶(黒茶)を求めて工場探し。タクシーの運転手は物知りだ。今度こそ本当のプーアル茶工場へ連れてきてもらった。大きな会社だ。しかし、今日は日曜日で会社は休みだった。タクシーの運転手は「自分が知る限り一番美味しいプーアル茶を作っている人」のところ案内してくれると言った。私たちは行ってみることにした。ただし運転手曰く「工場ではないよ」。

優しいプーアル茶職人

連れてこられたのは、小さなお店だった。ローズが先に店に入って店主と交渉。店主は中年の男性だ。彼はここでプーアル茶作りをしているらしい。私たちが「工場を見せて欲しい」とお願いしたら「まぁ、中に入ってお茶を飲んでください」といった具合に飄々とした雰囲気でプーアル茶をティーカップで出された。

しばらくお茶話に花を咲かせていると、「工場を見ますか?」と彼から言ってくれた。彼のもとへは時々、工場見学目的で人がたずねてくるらしい。最近もビジネスマン風の人たちがきたが、工場は見せなかったそうだ。かれは美味しいプーアル茶作りを10年間研究していて、茶作りに必要な器具も、力加減、温度、湿度などを研究して自作していた。もともと軍隊にいて、退役してから茶作りを始めたそうで、綺麗な普通話で話す人だった。彼のプーアル茶作りはお茶に合わせた作り方だ。大きなカメのなかに発酵中の茶葉が入っていた。暑い日は風通しのよい布を上にかぶせ、寒い日は毛布をかぶせて温度調節するそうだ。彼はカメの中に手を入れて、私たちにも「触ってみるか?」と声をかけてくれた。お言葉に甘えて茶葉に手をうずめてみた。温かい。私は「発酵させるための特別の菌を入れるのか」聞いてみた。彼は「茶葉にはもともと微量の菌が沢山あって、何も入れなくても自然にプーアル茶になる」と教えてくれた。

茶馬古道とプーアル茶の名の由来2.


もともとプーアルのお茶は緑茶だけだったそうだ。彼の考えは、「北方の遠い地域へ輸送中に偶然、発酵したお茶(プーアル茶)が出来た」というものだった。それが人気となり、保存や輸送の為に固めた固形茶が作られるようになったという。
それから彼は”茶馬古道”の話もしてくれた。”茶馬古道”とは、茶の交易道で、雲南省南端の
孟カ海や景洪、思茅、プーアル、麗江、チベットを超えてインドまで続いている道だそうだ。そして思茅でも聞いた”プーアル地区”の茶が現在のプーアル県に集まって、そこから麗江へ運ばれたそうだ。東南アジアの貿易商たちは麗江まで茶の買い付けにきたらしい。

彼の工場を見せてもらった私たちは再びお茶を飲みながら話し込んだ。彼の作ったプーアル茶は優しい味だ。変なかび臭さは無く飲みやすい。ローズの通訳もよくて、私たちは意気投合した。私が「これから広東省の潮州へ鳳凰単叢の茶畑を見に行く予定」だと話をすると、彼は「行く必要ない」と言った。それよりも「北京に中国各地の茶畑を巡ったお爺さんがいるから、その人に会いに行ったほうがいい」とアドバイスされた。彼もそのお爺さんからお茶のことを教えてもらったそうだ。

帰りに私たちは”糯米香茶”の苗をもらた。緑茶と一緒に加工することで、米のような甘い香ばしい香りを茶葉につけることができる植物だ。彼の作ったプーアル茶も買った。私が「いくらですか?」と尋ねると彼は「金は要らない」と言った。私とローズはそれでは申し訳ないと思いしつこく値段を聞いた。彼はまた少し考えて「・・・20元」と言った。安い・・・。多分本当にお金はどうでもよかったのだろう。

それにしてもまた荷物が増えてしまった。苗が3種類だ!旅行は残り大理と麗江・・・。北京に帰るまで枯らさずに持ち歩かねばならなかった。
ローズと一緒に北京へ戻ることに決めた。


店の入り口

お米の香りの糯米香茶



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